2014/02/04

頑張りどころより踏ん張りどころ


先日、頂いた桜がもう若葉を出しました


頑張りどころより
踏ん張りどころの方が好き。

人生でそういう場面はある。
いつもゆるりとふらりと楽に過ごせたら
それに越したことはないけど
それは私にとって必要な時間だから
私の元を訪れたのだと思う。
我慢じゃない。
辛抱でもない。
だから踏ん張りどころ。

春の訪れを待つ山の植物のように
雪の下でタイミングを待つ。
それは決して甘優しいものではないけど
ここを踏ん張ると
素敵な春がやって来るとわかっている。
だから闇雲に頑張るんじゃない。
踏ん張りどころ。

でもそれは硬くなっている必要はない。
芽吹くものたちはとても優しく柔らかい。
だからがっちがちなんてだめ。
硬さは何も捉えることができない。
感じることもできない。
硬い手では焼き立てのパンの柔らかさはわからない。
がっちがちの心で流れをつかむなんて無理だ。
だから
柔らかくして
ここは踏ん張るってことだ。

大地と足の裏がしっかり繋がっていて
それより上は海藻のように柔らかくして
あらゆる波動を感じる。
そよ風にも香りにも見えない空気中の水にも
誰かが来る気配にチャンスの到来
空気をいっぱい吸った肺や動く腸にも
踏ん張っていても常に感じることは大事。

踏ん張っている時は
地球が引っ張ってくれているのかも。
嵐が来ても吹き飛ばされないように
余計な心配に振り回されないように。
なんて心強いんだ!

そして地球の大地のエネルギーは本当にパワフル。
無限のチャージが可能!

だから
今は踏ん張りどころ!