2014/12/23

脳の指令だけで動かないで!


体を休めることはとても大切だけど
本当に体が求めているお休みが
できているかどうかは疑わしい。

やりたいことをやりなさいってよく言うけれど
頭と体がちゃんとつながっていれば
それはもちろん、これしたいって思ったことが
イコール体にいいことかもしれないけど
そうじゃない場合は多々ある。

食べたいものは典型的な例で
自分の今の状況と食べたいと思うものがイコールになりずらい。
だからある程度の自省は必要で
我慢しなければならないこともある。

仕事から疲れて帰ってソファに座り
ただぼーっとテレビを見たり
お酒をずっと飲んでいたりすることで
欲求は満たされリラックスするかもしれないけど
それは本当にあなたの体が求めていることだろうか?
さらにそれで寝るのが2時3時になるのは
とても健康的な体!って言えるのだろうか?
寝る前にパソコンや携帯、テレビを見ていると
脳が興奮状態になることはご存知かと思うが
果たしてそれをわかってちゃんと実行できているか
自分の生活を振り返ってもらいたい。
それが日常化している人は
そのスタイルがベストコンディションなのだろうか?

理想的なナチュラルな生活リズムとスタイルで暮らせれば
それに越したことはないが
あいにくこの世界でのストレスは容赦ない。
だけど
この世界でその体に魂を宿した以上
上手に丁寧に扱う他ない。
乱暴に体を扱ってきた人が病に倒れ
この世を去っていく姿を目にすると
自分を過信し過ぎていたのか
欲望のまま生きたからか
本人はベストを尽くしているのかもしれないけど
周りは心を痛めている姿を目にする。

そしてどんなに気をつけていても体が不調になることもあるし
逆にどんなに乱暴に扱っていても元気な人もいるのが
比例しない努力というか
こつこつ貯金してお金が貯まるのとは違うところがもどかしい。

実際、自分の体の限界を知るとショックを受ける。
ああ、私はこういうことに対応できない体なんだなーって。
それは間違いなく自分の日々の積み重ねの結果だ。
(もちろん先天的なものがある人もいると思うが)
だから未来の自分の大切なタイミングに
ちゃんとした体を今から気にかけないと
間違いなくそのタイミングで後悔することになる。
そして倍返し以上のものが体に戻ってくる。
これが本当に苦しい。

細胞は常に生まれ変わっているので
良くも悪くも変化は起こるのだ。
ただ時間が必要なのだ。
明日明後日起きる変化は薬の力。
それに頼りだしたら一生、それとつき合うことになる。
もちろんそれにもまたリスクが伴う。
全然ナチュラルじゃない。

心と体のことを
嫌というほど突きつけられる今日この頃。
大事な人の為にも
また大事な人を失わない為にも
今から、その脳の指令だけで動くのでなく
体の声を聞いてほしい。

セラピストとして
また一個人として
改心してもらうことを切に願う。


2014/12/10

自分で自分をハッピーにさせた後のステージへ


自分を削って何かをして
誰かを幸せにすることがよいことと思われていた時代から
自分で自分をちゃんと満足させることがまず大事な時代に入り
今、それからさら次のステージに入っていると思う。

もちろん、まずは自分で自分を
満足、ハッピーにさせることができるかだ。
それをしっかりキープして
それが大事なことだと常日頃から思えるようになることだ。

ここで満足して十分な毎日を送ることもできる。

でもそれがちゃんとできるようになると
次にそれを誰かにシェアしたくなる。
それがとっても素敵なことなんだよ、とか
おもしろいとか、楽しいとか、わくわくするとか
そういうことをプレゼントしたり一緒にやろうと誘うようになる。

それが次第にクオリティが高くなり
プロとしての自覚やそれにお金を払いたいと思う人が出てくると
仕事になるのだ。

そう
これが本当の最高の仕事じゃないかと思う。

もし、自己を満足させるためだけに
何かをやり続けているのなら
それを誰かにシェアしてみたらどうだろう?
確かにマイノリティなことかもしれないけど
実はそれを待っていた人が世界の裏側にいるかもしれない。
顔を合わせるけど話したこともない会社の人が興味を持つかもしれない。
やってみないと世界はどう反応するかなんてわからないのだ。

もちろんそれを仕事にするには相当のエネルギーが必要だけど
だからこそ、それを仕事にした人のエネルギーは本当に素晴らしい。
強いし魅力がある。
サラリーマンを否定するわけじゃないけど
確実に何かが違う。
それは先にも述べたが
辿ってきたステップが全然違うからではないだろうか。

自分を削るなんてもっての他で
自己を満足、ハッピーさせるだけの時代も終わったと私は思います。

でもまだまだ、そこに到達してない人がたくさんいるのは事実。
なのでそこにまずは到達しないとなんだけど
もう次のステージにばんばん行っている人が
本当に今年多いなーと思う師走なのだ。

例えばやりたいことやるのに仕事をして
お金を稼ぐのも一見良さそうだけど
その仕事そのものも考えなければならないし
(その仕事自体にちゃんとした目的があり
ステップなのであればいいと思う)
さらにやりたいことをやりっぱなしにしてしまうのももったない。
もちろん個々に目的があって十分なんだけど
その両方で活動して発生したエネルギーが本当にもったない!
なぜかというと
そこで生まれたエネルギーで
もしかしたら誰かを幸せにできるかもしれないのだから!

別に仕事に限らず
自己を満足させる為に
その食材、その服、その料理、その電化製品を買うのではなく
それを買うことによって自分も満足するし
他の誰かも幸せになるような買い物をすることも1つだと思う。
だから私はプレゼント買うのが大好き。
こういう心理でお金を使うようになる経済になったら
消費活動がいい方向に向かうのかなーって。

誰かの為だけに生きろと言っているのはない。
はじめにも書いたが
自己を満足、ハッピーにさせて
なおかつそれが誰かのハッピーにも繋げる行動が大事ってこと。
もしくは繋がっているとイメージできる意識、行動が大事ってこと。

私がマッサージやヒーリングを始めたのもここがスタート。
心と体、エネルギーがしっかり整わないと
そもそもこういった行動がとれないことがわかって
だからこそ、それを整えてパワフルなものにしたいと思ったから。
はじめは自分だけで十分だと思っていたけれど
自分の周りの人がもっとそうやって生きてくれたらいいなと思い
だったらそれがきちんと提供できるようにと勉強して、今に至った。

その学びを通じて知り合った人々は
心と体とエネルギーの重要性を十二分に知っているので
本当に豊かな生活をしている人が多い。
自分のこの能力で
自己をハッピーにさせる為や、次のステージに行きたい人
そのステージでさらにがんばりたい人など
各人のステージで最高に輝けるようにサポートしたいと思っている。

さて2015年まであともうちょっと。
行動を変えるのにはいいタイミング。
これからどうする?

2014/12/07

苦労って必要?


苦労って本当に必要なのか。

苦労という言葉を調べてみると
「精神的、肉体的に力を尽くし、苦しい思いをすること」
「人に世話をかけたり、厄介になったりすること」
デジタル大辞泉より
と出た。

私は精神的にも肉体的にも
力を尽くすことは悪いことじゃないと思うけど
苦しい思いはしたくない。
そもそも苦労を美徳とも思わない。

でも確かにその経験は糧になるとは思う。
もちろん本人が糧になると思えばの話なんだけど
やったことのないことや新しい世界は
誰にだって慣れ親しんだことや世界に比べたら
手こずるし、困ることもあるし、時間かかるし
精神的にも緊張しっぱなし、なんてことは起こる。
これぞ苦労の連続。

だからといっていつまでも慣れたその世界に安住してしまうのも
どうかなーと思う。
ましてや苦労したくないから、なんて理由なら
ことさらその人の幅は広がらない。
苦労せずに幅が広げられたらベストかもしれないけど!

でも意外なことに
周りが大変そう、苦労してる、苦労するんじゃないかって思っていても
本人は本当に楽しんでその状況にいる場合もある。
そういう人は強い。
軸がぶれてないし
自分の状況をちゃんとわかっているんだなーって思う。
そして10年後くらいに本人が
あのときは苦労が絶えなかったなーって笑い飛ばしてたら
おそらく一目置かれる存在になっているのだと思う。
それだけ苦労という経験は糧になるんじゃないだろうか?

でも自ら苦労に突っ込んで
私は苦労している!なんて自慢していたら
ただの傲慢。
また苦労そのものを選り好みするのもおかしな話。
苦労を選べば一目置かれるわけじゃない。
苦労という名目を使って一目置いてもらおうとするのもお門違い。

私、苦労してるかも
って思った時に一度、自分を振り返るよいポイントかも。
もしかしたら目的地に向かって遠回りしているかもしれないし
やっていることがからまわりしているかもしれない。
そもそもの軸がずれてる場合もあるかもしれないから
冷静に自分の立ち位置を見ることが必要かも。
その上で今の自分の心の状況を判断することは大事だと思う。
自分で自分に苦労してるって思っている時点で
それだとおそらく糧にならないから。
ただただ苦痛な時間が過ぎているだけだもの。

また苦労にぶつかったら行いを正す良いきっかけかもしれない。
普段の行いが悪い人もよく苦労している印象。
そもそもの日々の自分のしている行為が
苦労というカタチとなってカムバックしていることもある。
ここがこの世界のおもしろいところ!
例えば体を壊すことをしていたり
人を傷つけるようなことをしていたり
言ってることとやってること違ったり
などなど私が見てきた限り
そういうたぐいの人は苦労している。
アクセル踏んでブレーキ踏んでるみたいな。
しかも本人はそれに気づいておらず
もしくは直視してないか
悪いと思っていてもやめられないか。
そうなってくると苦労が
その人のライフカラーになっていたりもする。

大好きなサーフィンをしていて
大きないい波に乗るのには
沖に出るのにそれなりに自分で漕いで出ないといけない。
それに苦労することもある。
元々、自分の体がなまっている場合もあるし
風が強くて思うように前進しないこともある。
流れが強くて流されている場合もある。
それでも大好きなサーフィンをする為には沖に向かって漕ぐ。

苦労は必要かもしれないけど
それが何で起きているのかを知る為に
下がって自分を見る必要はある。
でもいつも下がって把握して修正できる人は苦労してないかもね。
やってない、できない、しない人は苦労しっぱなし。

つまり
苦労は必要な時にやってくる。