2014/12/07

苦労って必要?


苦労って本当に必要なのか。

苦労という言葉を調べてみると
「精神的、肉体的に力を尽くし、苦しい思いをすること」
「人に世話をかけたり、厄介になったりすること」
デジタル大辞泉より
と出た。

私は精神的にも肉体的にも
力を尽くすことは悪いことじゃないと思うけど
苦しい思いはしたくない。
そもそも苦労を美徳とも思わない。

でも確かにその経験は糧になるとは思う。
もちろん本人が糧になると思えばの話なんだけど
やったことのないことや新しい世界は
誰にだって慣れ親しんだことや世界に比べたら
手こずるし、困ることもあるし、時間かかるし
精神的にも緊張しっぱなし、なんてことは起こる。
これぞ苦労の連続。

だからといっていつまでも慣れたその世界に安住してしまうのも
どうかなーと思う。
ましてや苦労したくないから、なんて理由なら
ことさらその人の幅は広がらない。
苦労せずに幅が広げられたらベストかもしれないけど!

でも意外なことに
周りが大変そう、苦労してる、苦労するんじゃないかって思っていても
本人は本当に楽しんでその状況にいる場合もある。
そういう人は強い。
軸がぶれてないし
自分の状況をちゃんとわかっているんだなーって思う。
そして10年後くらいに本人が
あのときは苦労が絶えなかったなーって笑い飛ばしてたら
おそらく一目置かれる存在になっているのだと思う。
それだけ苦労という経験は糧になるんじゃないだろうか?

でも自ら苦労に突っ込んで
私は苦労している!なんて自慢していたら
ただの傲慢。
また苦労そのものを選り好みするのもおかしな話。
苦労を選べば一目置かれるわけじゃない。
苦労という名目を使って一目置いてもらおうとするのもお門違い。

私、苦労してるかも
って思った時に一度、自分を振り返るよいポイントかも。
もしかしたら目的地に向かって遠回りしているかもしれないし
やっていることがからまわりしているかもしれない。
そもそもの軸がずれてる場合もあるかもしれないから
冷静に自分の立ち位置を見ることが必要かも。
その上で今の自分の心の状況を判断することは大事だと思う。
自分で自分に苦労してるって思っている時点で
それだとおそらく糧にならないから。
ただただ苦痛な時間が過ぎているだけだもの。

また苦労にぶつかったら行いを正す良いきっかけかもしれない。
普段の行いが悪い人もよく苦労している印象。
そもそもの日々の自分のしている行為が
苦労というカタチとなってカムバックしていることもある。
ここがこの世界のおもしろいところ!
例えば体を壊すことをしていたり
人を傷つけるようなことをしていたり
言ってることとやってること違ったり
などなど私が見てきた限り
そういうたぐいの人は苦労している。
アクセル踏んでブレーキ踏んでるみたいな。
しかも本人はそれに気づいておらず
もしくは直視してないか
悪いと思っていてもやめられないか。
そうなってくると苦労が
その人のライフカラーになっていたりもする。

大好きなサーフィンをしていて
大きないい波に乗るのには
沖に出るのにそれなりに自分で漕いで出ないといけない。
それに苦労することもある。
元々、自分の体がなまっている場合もあるし
風が強くて思うように前進しないこともある。
流れが強くて流されている場合もある。
それでも大好きなサーフィンをする為には沖に向かって漕ぐ。

苦労は必要かもしれないけど
それが何で起きているのかを知る為に
下がって自分を見る必要はある。
でもいつも下がって把握して修正できる人は苦労してないかもね。
やってない、できない、しない人は苦労しっぱなし。

つまり
苦労は必要な時にやってくる。