2015/01/05

変化は自分がもっている執着を如実に表す


ある人に
「子供ができると家族のリレーションシップが変わり
それがおもしろいのよ」
と言われた。

確かに結婚しただけでも大きな変化はあったので
子供ができたらきっとそうなるだろうとは思っていた。

いざそうなると
自分が想像していた以上に変わった。
そして「家族」という枠の重要性を感じるようになった。
自分の家族もあるが、両親や妹弟
また義理の両親も含めた枠での
家族のリレーションシップが変わったように感じる。

1人の存在がここまで変化を起こすのを目の当たりにするのは
本当に凄いし、おもしろい。
会社や学校や何かのグループでも短期間で
ここまでの変化は見たことない。
だいたい時間がかかるものだ。
しかも特に何か彼がしたわけでもなく
ただ存在するだけで大きく変化するリレーションシップ。
それは私と誰かはもちろんだけど
その周りにいる人と人とも変化する。

なんということなんだ!

さらに変化するリレーションシップは人とだけではない。
私と体、私とお金、私と時間など
様々なものに変化を起こす。
これもまた1つ1つ見ていくと実におもしろい。

あるブログで子育てが大変な理由は
自分がしたいと思ったことが最後まで達成できないこと
という文を読んだ。
確かに仕事や期日が決まった事柄であれば
それは私にとっては非常に不愉快になることだ。
今は幸いにそういう環境でないので不愉快になることはないが
ここに社会のシステムが加わるときっとそこに直面するだろう。

でもこういった事とも
リレーションシップが変わっていることを
認識しなければならない。

そもそもゴールや達成が欲求を満たすこととしていたのなら
社会のシステム的にそのたぐいのものが多いが
それらとのリレーションシップも変わる。
どう変わるかは人によって違うが
急にそういう状況になる故
(彼らは突然現れるからね、でも妊婦期間も入れたら長いが)
その急変にすぐに対応できないのが心と頭だ。
だからはじめは苦しいし、しんどい。
私もだいぶ戦った。
でもリレーションシップの変化がわかる、受け入れると
いろんな発見があり、おもしろく感じる。
今はもしかすると
仕事には向いていない自分に変わってしまっているかもしれない笑

よくよく考えてみれば
リレーションシップは何も子供ができること以外でも
いくらでも変わる。
その変化に対応できないとストレスが生じる。

けれど変化は自分がもっている執着を如実に表してくれる。

こうしたい!ここまでやりたい!これがいい!こうでありたい!
色々なものと自分とのリレーションシップが
執着まみれであればあるほどストレスが強いように感じる。
そのストレスが心と体を蝕む。

ゴールや目標を設定することはもちろん大事だけど
そこに執着が生まれると事が前に進まなくなる。

永久に変わらないリレーションシップはない。
同じクオリティが求められる仕事などには
全く求められない事実だ。

けれど生きてる私たちはまぎれもなく有機的な存在。

授乳をしながら感じたことを
だらりだらりと3日間かけて書いてみた。

今日は2015で初めての満月。