2016/11/25

ゴッホとゴーギャン展

美大出身ではあるけれど
そこまでアートには詳しくない。
元々、ある事柄の歴史とか背景とかを
深く探ったり調べたりするのは得意でない。
なので
そこにあるがままを受け取り感じることばかり。
あとあと調べてみると
けっこうそこで感じたことが間違っていないということが多く
そんなもんなもので
なおさら事前の下調べなんてしない。笑


先日、上野で開催されている
ゴッホとゴーギャンの絵画展に行ってきた。
あまり美術館も行かないのだけど
なぜか駅のホームで広告を見たときに
あ、行ってみよう。
ってふと思ったので
誕生日の次の日の大雪の中行ってきたのだ。




もちろん
特に思い入れのある画家でもないし
名前は聞いたことあって
作品も2,3点知る程度。


でも
会場に入ってすぐに魂が揺れる感じがわかった。
そして何枚目かにあった
ゴーギャンが左手で書いた自画像の前で涙が出た。
自分でもびっくりした。
映画や本で感動することあっても
絵を見てそうなるのは初めてのこと。
わーわー泣きたかったけど
誰も泣いている人もいないし
ましてや美術館。
静かに鑑賞するところで
ひっくひっくなんてできない笑
ぐーっとぐーっと堪えた。


でも
解説を読み、絵からのエネルギーがわかると
泣きたくてしょうがなくなった。
嬉しい、という感情と
わかる!という感情が
(といっても本人と話したわけじゃないけどね)
涙に変わった。


どうにも涙が止まらなくなったのは
5分くらいに編集されたムービーを観たとき。
アラフォーのおばちゃんが美術館で泣くって
なんとも滑稽な姿だったろう。


でもしょうがない!笑
だって魂が喜んでいたから。





彼らは生まれた場所も育ちも
絵を描くスタイルも違うけど
ともに「自然」というものに対しての
敬意にも近い思い入れは
とても素晴らしいものだった。
それを絵で表現し伝えることを選んだ2人。
命を削って描いた絵のエネルギーは
多くの人を魅了するが
2人が伝えたかった
「自然」の素晴らしさ
愛おしさ、深さ、重要性、尊さは
はたしてどれだけの人に伝わっているのだろうか?
自然を介して行われる人の営みこそ根元だということが
魂レベルでどれだけの人に伝わっているだろうか?


これは、私の見解。
いろいろな解説書がいろいろ語っていると思うけど
それを読まずして
これらの文章を書いているのであしからず。


モネにも同じようなことを感じるけど
エコな暮らしとか環境保全とか
そういうレベルでない
もっともっと重要なこと
今は言葉にうまく表現できないけど
そういうものを発酵で私は感じ
2人の絵からも感じることができた。


逆に発酵という自然のエネルギーに触れてるからこそ
彼らのそういう部分がわかったのかもしれない。


降り積もる雪の上をただ滑り降りるだけでなく
沖からくる波にただ乗るだけでなく
出てきたものをただ食べるのでなく
もうちょっとだけ
地球のエネルギーを感じて
それと会話してほしい。


昔々の人々は
みんなそうやって生きていたのにね。