2018/01/15

「食べる」ということ


私にとって食べることは
とても大事なことで
幸せで楽しい時間でもあります。
だから
場所にも食事の内容にもこだわるし
作り手にすら目を光らせるようになってしまいました。
安いことに越したことないですが
それなりのものにはそれなりの価格がついてきますので
安さや量を追い求めることはしなくなりました。


しかし
ある人が
私が想像もしたことないような話をしてくれました。
その方はこう話してくれました。

「あやさんの食事をする姿を見て
私はもう何を食べて大丈夫なんだって思えました。」

これを聞いた時
私はびっくりしました。
何かが原因で食事制限をしなければならない人以外は
基本、何を食べてもいいと思っていました。
ポリシーや好き嫌いや気分もあると思うので
食べないという選択肢はありますが
大半の方は誰からも
〇〇を食べてはダメとは言われていないはずなのです。
ですが
その方は過去の経験から食べることが怖くて
自分で自分に食べてはいけないと制限をかけていたのです。


誰でもそういう経験はあると思います。
お腹下した経験からあれは食べない、とか
食べると体調が悪くなるので食べないようになった、など。。。
でも
これもまた大半の方は
時間が経ち、体調が戻れば、自然と食べるようになると思います。
しかし
自分でかけた制限を本来なら自分で外せるはずが
外したくても外せなくなってしまうことがあるのです。
これは逆も然りで
所謂、中毒症状的に〇〇を食べないと気持ちが落ち着かない
ということもまた同じです。


食べるということが
私にとって幸せで楽しいことであるのと同じで
食べるとうことは
人の心に大きな作用があるということなのです。
だから
食べたくても食べられないことが苦痛にもなり
食べないことで体が動かせないことにつながる恐怖もあり
食べることでしか心の安定を保てないことにも陥り
食べたら体が変わることへの不安
という状況になるのではと思うのです。


私は幸いにも
これらに悩まされる過去はありませんでした。
だから食べることは大好きですし
だからこそ大事なことだと思っています。
ただ、美味しいだけ
ただ、雰囲気がいいだけ
ただ、こだわっているだけ
ただ、食べるだけ
だけだと
エネルギーがなさすぎて
直ぐに心と体のギアが変になります。
これが嫌だから、ちゃんとしたものを食べたいと思うのです。


その方はこうも話してくれました。

「あやさんが美味しいというものは間違いなく美味しいんだと思いました」

この美味しいも
実は味覚だけの話ではないのです。
五感以上の第六感的な感覚
スピリチュアルな部分も含めた「美味しい」があるから
私はその食事を美味しいと表現しているのです。


小さい頃からちゃんとした食事をしていたから
こうなったわけではありません。
高校三年間マクドナルドでアルバイトをし
ナゲットを一度に25個も食べていた人です。笑
でも
人生を歩むに連れて感覚は変わっていきます。
これではいかんと自ら強制的に修正したこともありましたが
そんなことなんて続かず
自分の感覚を研ぎ澄ますことに意識を向ければ
ちゃんとしたものを選べるように勝手になりました。
かといって
今でもラーメン大好きでしすし
肉も食べますし
ジャンクなものも頂けば食べちゃいます。
それが悪いことだと思っていません。
そこには楽しさや感謝があるからです。
そして
そんなことで感覚は鈍くなりません。
ストイックになったら、それで病になりますし
楽しみ減りますって。


けれど
定期的にちゃんとした食事をすることは重要です。
だから去年からランチ会を始めました。
私が心から美味しいと思うところでします。
口に食事が入らなくても
その空間にいれば五感すべてから
大切なものが心と体にたっぷり入ってくるのです。
そうすると
話をしてくれた方のように
自分で取ることができなかった制限を
私の食事する姿を見ただけで
自分で取ってしまうということが起きてしまうのです!


というわけで

私の食べる姿を見にきてください。笑

もしかしたら
食べることに関する悩みから解き放たれるかもしれません。
いや
もっと全然違う自分の中の引っ掛かりが消えるかもしれません。


私が何かするわけではないのです。
自分で自分に勝手に自然とそうするんです。
これが大切な自己治癒力=本能なんです。


食べることに関わることへ
何か引っ掛かりがあるのなら
食べるものが悪いか
食べる場所が悪いか
一緒に食べる人が悪い
かもしれませんよ。。。
そういう方こそ
ぜひ

私と一緒に食べてみましょう!笑